自粛といっても音楽活動の完全停止は避けたいので、自分だけで出来る部分に関しては、なるべく守備範囲を広げつつ対応していますが、それでもイロイロな方々の協力も得ないと、という部分もたくさんありますから問題なのはそういう部分なんです。 今、考えたいのは自粛しつつの交流のカタチです。
たとえば作詞は自分でするけれど、作曲はどなたかにお願いしたい、というような場合、会って直接話すコトでイメージの伝達をしたりアプローチについて詰めたりもしやすくなるのだけれど、すべてが直接会うコトも無くメールのやり取りだけになってしまうのは、どんなに互いが察しの良い手慣れた者同士でも、困難なコトになりますからね・・・出来なくはないけれども・・・。
全ての楽器がソコソコ演奏出来るというマルチなミュージシャンは、自身のスキルでトライ出来るのでイイのだけれど、僕のように不器用なクセに色んな楽器を楽曲で使って仕上げたい場合は、ただでさえ困難なコトが、このウイルス騒ぎによって更に困難になるワケで、ホントに困ったモノです。 と、親しいアーティストさんに愚痴ったら " 考え方を変えて出来るコトだけで作れる作品集 " 的なモノを作ってみたら、とアドバイスを頂きました。
「 なーるほど!! 」 だよね・・・無理をしようとする、というコトは困難に困難しているワケで、ちょっとこれまでのモノは保留しておいて、今、困難なコトが気軽に出来るようになった時にすればイイ。 よくよく考えてみたら、同じような発想になり、切り替えられるのに何故かそうしなかったコトばかり・・・持つべきものは " 友 " だね・・・さぁ、閉まった扉は後回しだ。 気持ち良く進めるほうへ進みましょう!! それこそ、不自由な今だからこそ見える、自由の素晴らしさだ。
PS. 大河 " 麒麟がくる " 、ようやく溜まってた録画を順にすべて観終え、今は興奮が鎮まりません・・・。 大好きな作品になっちゃったなぁ・・・総集編の放送がNHK総合で2月23日(火・祝)の午後1:05からあるらしい・・・コレは観るよね、観るべしだよ!! それと県外移動の自粛が解けたら、なるべく近いうちに 岐阜・桔梗塚 ( 光秀の墓 ) に行きたいなぁ・・・。
明智光秀 が活躍した室町時代の後期 ( 戦国時代 ) ~安土桃山時代は、それまでの戦 ( いくさ ) のスタイルや権力のしがらみが段違いにエグくなった時代でもあり、城や武器 ( 鉄砲の伝来は革新的だったと思われます ) も大きく様変わりし、桁違いに多くの人が死んだ時代でもあります。 逆に言うと、人々の暮らしが派手になり、それまで手の届かなかったモノまでもが、懸命に求めれば、その情熱と引き換えに手に入るチャンスがあった、というそんな時代でもあったワケです。
血の気の多い武将が揺るぎない権力者となるためには、同じ志を抱く者と結束してコトを成す必要に迫られるワケですが、それは同時に " 信じたいが信じられない " と、常に疑心暗鬼と戦わざるを得ない、という矛盾を内包していた不安定な時代でもありました。 そういう時代の空気がとても良く描かれていましたね・・・麒麟がくる!! 素晴らしい!!