以前から怖れていたコトが、いよいよ現実に大きな影響力を露わにし始めた。 内部告発とも言えるフェイスブック及びインスタグラム問題だ。 どんなメディアであれ、特定のメディアが大きな影響力を持てば、そこに利権が関わってくるのは過去の例からみても避けられないコトではある。 しかしながら、常に選択の権利や、いたずらに偏らない公平な情報の明示は最低の条件であるハズだ。
今回問題となったのは、特定の人種や団体に対するいわれのない偏った情報の流布や " 密かにマインドコントロールをするかのようなやり方 " について、元社員が危機感を持ち、勇気を振り絞って内部告発をし、世界に問うたものだ。
当初よりインターネットの仮想空間では、こうしたコトがやがて大きな問題になる、と多くの知識人が予見しており、その危険性を問題視したり対策について決起する必要性も論じられてきた。 しかしながら、その加速度的な発展や多様性ゆえに具体的な措置については現在も多方面にまで包括的に配慮したカタチにはなっていない、というのが現状だ。
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僕は以前、ゲームソフト " The Last of Us " の大ファンで、このゲームのストーリーを書いた作家を素晴らしいと感じていました。 きっと僕と同じように感じた方は多いと思います。 で、世界規模の大ヒットゲームソフトとなりましたから続編が作られました。 1作目の大ファンだった僕としてはすぐに2作目を・・・しかし残念なコトにこの作品は僕にはとても残念な作品になってしまいました。 出来るコトならその存在すら忘れたい作品のナンバーワンです。
そのあまりのショックでテレビゲーム自体から自然に距離を置くようになり、2作目のために購入した新たなゲーム機はもう箱に戻して押し入れの中です。 僕にとってはショックが大き過ぎました。 選択の余地が無い、酷過ぎるストーリー展開の強引さに耐えられませんでした。
2作目の作家が明示したストーリーには残念ながら僕が尊敬できるような何物も感じませんでした。 僕の考え方とはあらゆる面で違っていました。 ゲームソフトのストーリーに対して、こんな気持ちになるとは思ってもみませんでした。 ゲームに限らず、思想や考え方に少なからず影響を与えるすべてのモノに対して " 受け手としてどうあるべきか " は今後、重要な課題になると思います。
もしも僕の声が届くなら、リリースされた2作目は無かったコトにして、1作目のような聡明さを持った " 新たなストーリーで塗り替えて欲しい " と心から思っています。 " ヒトはヒトを愛さなくてはいけません " どんな時でもソレは大原則。 しかし、そうは思わないヒトが、自分や大切なヒトの命を脅かすような行動に出たり、もうヒトとしての感覚も失せてしまった感染者を相手にするのならば、守るための行動 ( 己のチカラを誇示するための暴力や破壊ではありません ) をしなくてはなりません。 その " ギリギリの判断と行い " を、ともすると道を誤りそうな恐怖と葛藤の中で知らしめたのが1作目だったハズです。
ギリギリまで少女エリーに武器を持たせなかった配慮や、ソレが可能ならば原則争わない主人公ジョエルの思慮深さが信頼感となった前半や、ジョエル自身が傷付き、エリーを守ってやれないと判断するや否や、渋々銃を持たせる等、ギリギリの判断の連続が、色んなコトを思わせ考えさせられる、そんな素晴らしい1作目でした。