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WEST SOUL JAM ~とびたいきもち~

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生駒屋敷 ( 小折城 ) と生駒吉乃

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生駒屋敷 ( 小折城 ) と生駒吉乃

下記HPに写真特集のアップが出来ましたので、改めて転載 ( アメブロより ) と加筆して、ブログに記事をアップします!! 記事と写真特集の両方を楽しんでいただけたらウレシイです!!

 ★ 生駒屋敷 ( 小折城 ) と生駒吉乃

歴史の表舞台には登場させ辛いのが、戦国の世の側室や側室にも成れなかったお妾さんの存在。 なれども、そうした存在ナシには " 御家 ( おいえ ) " を継承するコトが困難だった当時の事情もあります。

織田信長 の正室は、斎藤道三 の娘・帰蝶 ( きちょう / 別名・濃姫 / のうひめ ) なのですが、実は 信長 と 帰蝶 の間には子供が無かったんです。 信長 の実子は、様々な文献から20人以上が確認されていますが、そのすべてが9名の側室 ( 非公式のお妾も含む ) との間に生まれた子供なんです。 その9名の中でも 信長 が最も寵愛していたのが、生駒吉乃 ( いこまきつの ) でした。

吉乃 の実家・生駒屋敷 は 小折城 ( こおりじょう ) とも呼ばれ、商家であったのですが、馬借 ( ばしゃく ) と呼ばれる当時の 運送業 ( 主に陸運 ) を営んでいたため、特別に 城 のような造りにするコトを許され、生駒家は 犬山城主・織田信清 に属する商家と武家の中間のような特別な御家柄であった、とされています。

当時、主要な街道沿いに在った 生駒屋敷とその周辺 は、織田一族との繋がりも在り、様々な情報が集まる華やかな場所となっていたようです。 そのため 木下藤吉郎 ( 後の 羽柴秀吉 → 豊臣秀吉 ) は 信長 よりも古くからの生駒屋敷の常連でした。 吉乃 が 信長 と出会うのは、嫁ぎ先の武将が亡くなり、実家に出戻って来てからと言われていて、秀吉 を 信長 に " 必ずやお役に立つ有能な男だ " と推薦したのは 吉乃 であった、とも言われています。

吉乃 が生まれたのは、1528年で、織田信長 ( 1534年生まれ ) よりも6歳上です。 信長 が 吉乃 と初めて出会ったのは1556年で、信長 は22歳、吉乃 は28歳でした。 気が合うというか、肌が合ったというのか・・・吉乃 は 信長 との交際を始めるや、すぐに出会った翌年から3年連続で子供を産みます。 長男・織田信忠 ( 1557年生まれ ) 、 織田信雄 ( 1558年生まれ )、更に 徳姫 ( 1559年生まれ ) の2男1女です。

そして、末娘・徳姫 が生まれた翌年 ( 1560年 ) の6月から、あまりにも有名な " 桶狭間の戦い " が始まり、大軍を率いて尾張東部に侵攻した駿河の戦国大名である 今川義元 に対し、尾張の大名・織田信長 が少数の軍勢で本陣を奇襲し、今川義元 を討ち取って今川軍を退却させるという大偉業を達成するワケです。

この大偉業達成の陰には馬借 ( 運送業 ) を営んでいた 吉乃 の実家・生駒家の協力があった、とも言われています。 生駒家の使用人が馬借として 今川軍 に紛れ込みスパイ活動をして情報を 織田信長 に伝えたとか。 いずれにせよこの戦いでの勝利が織田軍を一躍有名にし、今川軍の勢力を削ぐのに充分な影響力となった事は言うまでもありません。

1562年になると、織田信長 は 徳川家康 と同盟を結びます。 そして1566年、徳姫 を生んだ後、産後の肥立ちが悪く臥せっていた 吉乃 は 信長 の願いも空しく亡くなります。 そして、吉乃 の末娘・徳姫 は、1567年には 松平信康 ( 徳川家康の長男 ) と結婚の約束を交わし、松平家 ( 岡崎城 ) に入り暮らすのですが、その時 徳姫 と 信康 は互いにまだ8歳だったんです。

そんな2人にも1576年 ( 互いが18歳の時 ) に長女・登久姫、翌年には次女・熊姫 と2人の娘を授かります。 しかし、お世継ぎとなる男子が生まれないコトなどが発端で、信康の母・築山御前 ( つまり 徳川家康 の正室 ) と 徳姫 とが険悪な状態となり、岡崎城 にて居心地が悪くなった 徳姫 は、信長 に手紙を出すのです。

諸説ありますが、なるべく早急に男子が欲しかった 築山御前 は、元々 今川家の出身だったし、武田家とも縁があったため、その両方に 信康 の側室となってくれる姫君を募ったようで、それを快く思えなかった 徳姫 は " 謀反の企み " として、父・信長に知らせた ( 愚痴った、というニュアンスだと思うんだけどね ) のです。

この手紙を読んだ 信長 は、家康 を呼びつけて激しく怒り、築山御前 と 松平信康 に謀反の動きがあると言い、徳姫 と 信康 とを離縁、そして 徳姫 は 清須城 へ戻るのですが、徳姫 が産んだ2人の姫は 岡崎城 に残すこととし、その上で 「 謀反した責任をとれ 」 と迫ります。  徳川家康 は、正室・築山御前 を部下に命じ殺させ、長男・松平信康 に対しては、大浜・羽城 の牢から、遠江・堀江城、そして最終的には 遠江・二俣城 へと各地へ罪人として たらい回し にした後、最終的には自刃をさせることとなります。 この時、死んでしまった2人 ( 妻と長男 / 正室と後継者 ) と、そうするしか手が無かった 徳川家康 の気持ちは、どんなだったでしょうね。 この頃の 織田家の勢力は、途方もなく絶大で強権的だったんです。

吉乃 と 信長 との末娘・徳姫 と徳川家の間に起こった、この歴史的にも大変恐ろしい事件ですが、信長 は、こと 吉乃 との子供 ( 2男1女 ) が絡むコトとなると、とかく冷静さを失うんですよね・・・ 徳姫 は末娘ゆえに特に可愛いということもあるでしょうが、やはり、吉乃 のコトをホントに愛していたんだろうなぁ・・・。

生駒吉乃 の荼毘地から真東に500メートルほどの地に、生駒家代々の墓地の在る 久昌寺 が在り、寺のすぐ隣、西北方向に 生駒屋敷 ( 今は無い ) と 龍神社 も在るという、吉乃 が生まれ育った地 ( 久昌寺墓地 ) に 生駒吉乃 は今も静かに眠っています。 信長との素敵な思い出もたくさんある 小折城 が在った場所で・・・。

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